2020年4月4日土曜日

平成8年度川崎市内バドミントン大会完全制覇!

 全国大会が終わって、自分も学校に戻りました。みんな自然に自分を受け入れていただいて嬉しかったです。「川崎ジュニアバドクラブ」「全国大会で勝利する」という大きな成果をだすことができました。同時に下級生が大きな力をつけることができました。今回続けることの大切さを伝えようと思い、まとめてみました。
 全国大会開催のために各都県に依頼して何回も練習試合を行いました。当然、下級生も参加しているので、同じ刺激を受けて成長していきました。自分が所属していた南加瀬中もその恩恵を受けていました。…成し遂げたのは
平成8年度内市公式大会 
八冠完全制覇!
県総体予選男女団体2冠個人4冠・市総体男女団体2冠
でした!
We shall overcome
Oh deep in my heart
I do believe
We shall overcome someday
<回想1>
 当時はいろいろなオープン大会が開催されていました。「伊勢原オープン」「愛川オープン」「綾瀬オープン」「相模原オープン」「平塚オープン」…多数ありました。現在も行われている大会もあります。委員長だったこともあり、挨拶を兼ねてそのすべてに参加していました。
県強化リーグもポイントがあれば、Bチームんも参加が認められていたので、下級生も参加でき、経験値が増えました。
 市内では川崎市バドミントン協会の主催で「ダブルス大会」が新人戦前に開催されていました。現在の小中学生大会の前身です。全国大会が「1複2単」から「2複1単」に変更されて、ダブルス強化が急がれていました。優勝者には(株)YONEXから黄金のシャトルが提供されました。
 目的ある練習と試合経験が実力を向上させます。

<回想2>
 自分のチームは全中の年、関東大会は惜しくもベスト8にとどまりましたが、開催地枠で男子シングルス・ダブルスで大会に出場できました。ダブルスが全国一勝をあげました。全国大会の開催地枠は団体1、シングルス2、ダブルス1でした。会議で団体個人は川崎市1位の団体個人、シングルスは県1位も出場と決定していました。
 実はこの年にまず「市大会完全制覇」をねらっていました。前年も男子団体・S・D優勝、女子団体準優勝、市総体も男子優勝、女子準優勝していて「4冠優勝」していました。県総体も男子団体個人シングルスが優勝できた年でした。全中の年も市総体男子優勝、女子準優勝で「3冠優勝」でした。県総体は男子団体二連覇することもできました。
 大会結果は嬉しくもあり、悔しさも十分にありました。自分が作り上げている大会に、自分の所属選手を出したかった。自分が作った「申込書」を自分で使いたかった。そんな気持ちに満ちあふれていました。夢を追い続ける姿勢を崩さないことが大切です。
 そんな姿を後輩が見ていました。よく聞きますが、今年はメンバーが良いので優勝できたとか、今年はお休みなどと…自分はそれが嫌いでした。メンバーの良し悪しではなく、練習の質を上げて選手強化を図ることが大切と考えています。
 公立高校ですから転勤はつきものです。長く同じ学校に入れても限度があります。選手の頑張りがあり、中学校始めの選手を主に育成して、複数年在籍した学校すべて(4校)を関東大会に出場させることができました。転勤する年にあたってしまった選手も多く関東大会に出場できました。
 さて、全中の次の年1996年は…

<回想3>
 まず年の始めに行われた「川崎市新人大会」男子ダブルス:優勝女子ダブルス:優勝、男子シングルス:準優勝、女子シングルス:第3位で、まだ「二冠優勝」止まり。
 県大会では男子シングルス:第3位、男子ダブルス:準優勝と頑張りました。
 その後、敗戦原因を考え、練習で補強し、敗れた選手の所属する学校に毎月のように練習試合をお願いし、川崎ジュニアや県外遠征で強い選手、指導者との対戦を積み重ねました。

<回想4>
 そして迎えた県総体市予選になりました。結果は男女団体戦:優勝、男女個人戦シングルス、ダブルス:優勝「六冠優勝!」をみごと成し遂げました。市内大会とは言えど初のことでした。
 特筆することは2点あります。決勝での失点の少なさ、ダブルスの充実でした。まだ「サービスオーバー」がある時代でした。その得点は今回教え子が「大会報告書」を大切に保管してくれていて、自分に見せてくれ判明しました。まだデジカメが無い時代でしたが、報告書は毎回発行していました。

BTは2-0 優勝
GTは2-0優勝
GSは15-1、15-3 優勝 
GSは11-7、11-4 優勝
 BDは15-9、15-5(同校対決) 優勝
GDは15-7、15-10 優勝
GDは第3位や県大会代表戦も勝ち取りました。 


そして、県大会は前年全国大会を行った「とどろきアリーナ」が会場でした。結果は…

男子団体準優勝
女子団体第3位 アベック関東大会出場 
男子シングルス、女子ダブルス第3位 関東大会出場
女子シングルス第3位入賞でした。




みんな頑張りました! 

<回想5>

 最後に秋の市総体が残りました。川崎市は3年生が出場できる大会が秋まであります。まだ男女とも2複3単(兼ね無し)の時代でした。教え子からもらった「大会報告書」によると、女子は2回戦から1本も落とさずに、すべて3-0勝利!合計得点が236対102の圧勝!。男子も2回戦こそ1本落とすも、その後は3-0勝利!合計得点が267対108の圧勝でした! これまで何回も追い続けてきた「八冠達成!」を勝ち取りました。「とどろきアリーナ」の前で集合写真を撮りました。達成記念に「スポーツタオル」「優勝記念盾」を制作しました。





<回想6>

 この年度の3年生の大会が全部終わりました。当時の市専門部長にお願いして、県総体市予選に無かった「優勝カップ」を作らないかと打診しました。県大会の予選カップは作られてなく、各専門部独自のものを作成していました。そこで、今回の完全制覇を記念して、自分が作成し寄贈することの許可をいただきました。それが2016年まで21年間使っていただいたカップです。老朽化していなかったものも、時代にそぐわない個人が作成した物として2017年に回収させていただき、自宅に保管してあります。使っていただきありがとうございました!



<回想7>

 翌年自分は転勤し、県専門部長も引退させていただきました。そんな生徒も、今やもう40代に近づいています。自分が全国大会を行ったのが41歳のときです。今も宿泊練習会に参加してもらったり、その子どもがジュニアクラブ員になっています。長いことやってきて良かったと思える瞬間です。今回も新型コロナウイルス感染防止のために「自粛中」のところ時間ができて、資料をいただいてまとめることができました。

 あれからまもなく24年、未だに川崎市内に「八冠市大会完全制覇」の学校は他に出ていません。いや年度をまたいで新人戦も入れて「十二冠市大会完全制覇」をいつかどこかの学校が達成してくれることを待ち望んでいます。by組長

ここまで読んでいただき感謝します。 

<感想をいただきました>資料をいただいた教え子から感想をいただきました!

先生 誕生日プレゼントありがとうございます💕

先生と出会えていい思い出がたくさんできた事が幸せです😊
中学を卒業して何十年と経っても今でも忘れない思い出になってます。
ブログをみてて、先生が激怒して体育館の舞台から椅子を蹴り飛ばした事?、ノックの最中に激怒してラケットを投げ飛ばして折れた事や?、大会で優勝してガストでご飯を食べさせてくれた事!、休みの日に遊園地に行った事!など色々思い出しました!

コロナが落ち着き バドミントンができるようになった時にはまた一緒にやりたいです!
これからもよろしくお願いします😊

2020年4月3日金曜日

平成7年度第25回全国中学校バドミントン大会を振り返って!

 何回もチャレンジして抽選で確保できた4月4日の「カルッツかわさき」強化練習会も新型コロナウイルスのために、中止になりました。とても残念な思いで一杯です。またいつの日かウイルスが収束して、自粛が解除になり思いっきりバドミントンがしたいです。
<始めに>
 今回はそんな時期に教え子から貴重な資料をいただいたので、整理しています。今回はこの「川崎ジュニアバドミントンクラブ」できるきっかけになった、今から25年前。
1995年8月20日~24日に日程で、新築の体育館「とどろきアリーナ」で行われた

「第25回全国中学校バドミントン大会」
を振り返ります。まずは動画から…画質が悪いですがどうぞ!2015年に行った「全中開催20周年記念大会」に際に編集したものです。

【動画:1995年第25回全国中学校バドミントン大会の記録】

Preserve your memories They're all that's left you.
How terribly strange to be seventy 
<回想1>
 先の講習会でお話ししたように、自分が神奈川県中体連バドミントン部専門部長を務めさせていただいたのは、1992年(平成4年)~1995年(平成7年)でした。1992年には初の県合宿を開催し、翌年には正月に「第9回関東合宿」夏に「第24回関東中学校バドミントン大会」を開催し、1995年全国大会開催後、秋に「県選抜大会」を新設し、さらに「県新人戦」を1本のトーナメントにできました。過渡期にあった時期だからこそ、専門部の先生方やメーカーの方、中体連本部役員の方々、そして現場の顧問の理解があっからこそできたものばかりでした。毎回の県専門部会を各ブロックの部長所属校で開催し、お互いの理解を深めていきました。
 その中でも一番の思いでは「全国大会開催」でした。現在使用している、神奈川県総合体育大会の優勝旗は、この大会開催を記念して作成させていただきました。



<回想2>
 当時全国大会は全国9ブロック持ち回り制で開催されていました。関東ブロックの8都県で各ブロック2種目開催が義務でした。県中体連事務局の理事長先生から打診があり、バドミントンはどうか?とありました。一瞬考えましたが、「引き受けます!」と即答しました。こんなチャンスはないと考えたからです。全国9×関東8=72年に一度のチャンスを逃すことはありません。すぐに準備にあたりました。


<回想3>
 自分自身が全国大会に出場したことが無かったので、まず先輩の出場顧問に全国大会はどんな大会なのか、話しを伺いました。1992年第22回富山高岡大会を1人で視察しました。体育館が円形で大きく、開会式の吹奏楽の演奏の見事さに驚がくしました。当時は会場に熱中症対策として「氷柱」が何本も置いてありました。持っていったビデオカメラのマイクが不調で、街の電気屋さんに相談したところ、とても丁寧に接していただき修理していただいたことを覚えています。翌年は専門部の役員でワゴン車で滋賀県大津市まで視察に6名で向かいました。まだ2年前ということもあり、旅行気分ででかけました。夜はいつも麻雀ばかり?してました。
 大会はとても整然とした大会でした。「業務必携」なるマニュアルができていてそれはそれは参考になるものでした。自分の大会時においては、まだインターネット等がなく、パソコンよりもワープロの時代でしたので、作成するのに大変な書類でした。

<回想4>
 前年の1994年は北海道旭川市「大雪アリーナ」というとてつもない大きな体育館でした。冬はスケート場だと聞きました。この年は川崎市の視察団と県専門部の視察団という大がかりなものでした。この大会に自分も出たいと、大会準備と平行して選手強化に頑張りました。幸い県大会で男子団体優勝でき、「いざ旭川!」と関東大会に乗り込みましたが、埼玉県のチームに敗れてしまい、選手に全国大会を経験させることができませんでした。



<回想5>
 1995年になり、自分は職場を離れて4月~10月まで「県中体連事務局専従」となりました。授業は非常勤の方が代行してくださり、毎日「横浜三ツ沢」の事務局まで通いました。神奈川県開催になった「体操専門部長」の先生と「県理事長」との3人で協力してこの難題に取り組みました。
毎日書類作り、挨拶回り、発送、電話連絡…まだメールやラインも無いのでFAXと電話が手段でした。4時に終わって、疲れてはて横浜駅に向かいました。東横線に乗ると自宅方面、横須賀線に乗ると所属中学校方面…足は自然と横須賀線に向かいました。職員には「夜の訪問者」と呼ばれていました。生徒の様子を知ることや部活動指導がしたかったです。しかし、5月になると「事務や挨拶回りに嫌気」がでてきました。もう限界でした。「普通の教員に戻りたい!」かったです。立ち直るには少し時間がかかりました。2~3日後に同僚から言われた言葉、「あなたがやらなければ誰がやる!」と言われた事を自分に言い聞かせて、再度準備に取り組みました。持つべきものは仲間です。
   その矢先……

<回想6>
 この年の7月に「とどろきアリーナ」が完成予定でした。全国大会の前に「関東中学校バレーボール大会」や国際大会などのオープニングイベントも予定されていました。
 完成が間に合わない!と聞いたのが5月下旬でした。慌てました!開催の危機でした。その前にも大きな事件がこの年にはありました。1月には「阪神淡路大震災」3月には「地下鉄サリン事件」などがあり、今の新型コロナウイルス感染の状況とは違いますが、社会が揺れ動いていました。
 幸い本大会は体育館が間に合い完成し、間に合って開催することができました。よくアリーナまで「出来るかなあ」と思い、行ったものでした。

<回想7>
 これまでの全国大会を参考にして、今大会は大きく5つのことを変えました。

①コートマットを使用する。②大会会場で前日練習を行う。③過去の大会出場記録を掲載する。④アトラクションを開会式前に行う。⑤記念品を作成し、開会式で披露する。 

 ①はアリーナの練習コートにも設置しました。②は初の試みでした。③は全国中体連バドミントン部からの依頼でした。④は高校生にチェアリーディングをお願いしました。⑤は来年度開催県(都市)に大会ポスターの下敷きを渡しました。作成者、設置者に深く感謝します。
 大会中、大雨で落雷があり停電してしまい、競技が中断しました。慌てましたがすぐに復旧して決勝戦まで行えました。そんな思い出もあります。自校の選手も出場でき、1勝をあげることもかない、準備に3年もかかったのに楽しく夢のように過ぎ去った4日間でした。


<回想8>
 大会終了後、男女団体優勝されたチームから手紙がきました。大変お世話になりましたととても丁寧な内容でした。思い返せばこのチームの選手だけが「前日会場練習」の時に、「冷房の風はどこから出ていますか?」と聞いてきました。強いチームは違うな~と感じました。
 この大会開催を契機に「川崎ジュニアバドミントンクラブ」の歴史が始まりました。
出場した川崎市・神奈川県の選手も頑張り、今後につながる大きな経験を得たものと考えています。現在はそのお子さんが本クラブの選手として活躍していることに、意義を感じています。本大会に関係されたすべての方々に感謝の気持ちを表します。
 
  自分もこの大会開催により、教員としてもあり方、人脈作り、事務能力、バドミントン技術知識…を得ました。ありがとうございました!
 2015年に「全中開催20周年記念大会」を開催しました。こんな時期ではありますが、今年中に「25周年」を記念したイベントを行いたいと考えています。



 お読みいただきありがとうございました!by組長

2020年4月1日水曜日

第7回強化練習会中止のお知らせ 緊急!

市内のスポーツセンター等をお借りして、より深くバドミントン競技を知り、競技力や精神力を高めるために行う予定でいました。
 第7回強化練習会、令和2年4月4日(土)小体育室4面(午前9時~午後5時30分) カルッツかわさき(地図)は
以下の理由により
中止とさせていただきます。
参加費は徴収しません。


<理由>
・新型コロナウイルス感染拡大防止で、参加者やご家族の健康と安全を確保するため。
・3月22日(日)の時点では、まだ感染拡大時期前と判断して、消毒や換気等の対策を講じて行いましたが、現時点ではすでに拡大時期に達していると判断しました。そして毎日状況は悪化しています。今回は対策を講じても感染予防ができないと判断したため。

<今後の再開時期>
・川崎ジュニアの活動再開時期は「感染状況が下降」「川崎市中学校部活動再開時期」に合わせて考えます。
施設開放で体育館をお借りしている日は「施設開放が再開」された場合に実施します。
・その際でも以下の<参加上の注意事項>を遵守して行います。
・実施する日程に関しましてはこのブログを参考にしてください。



 新型コロナウイルス感染防止対策として以下のように行います。
参加者(選手・指導者・保護者)はよくお読みになってご参加ください。

<参加上の注意事項>
1.風邪の症状や 37.5℃以上の発熱がある方、強いだるさや苦しさがある方、激しい咳の症状のある方は、参加を見合わせてください。家を出る前に検温し、さらにする前に体温を測ります。体温計持参できる人はお願いします。※クラブでも用意します。
2.マスクをご持参いただき手洗いを励行するなどしてください。
3,会場にアルコール消毒液を設置するように準備します。お使いください。
4,会場内は換気を常に行います。

バドミントンの知識試しをします
例えば…
その1:右利きの人がバック側にきたシャトルを
左手にラケットを持ちかえて打った?
 ①フォルト ②レット ③有効

その2:シャトルがネットを越えた後にネットの相手側にひっかかりました?
①サーブはレット ②ラリーはレット ③すべて有効


回答は当日…

2020年3月29日日曜日

茨城遠征に行きたかった~!第2弾 埼玉県入間市宿泊練習会!1回~5回

 今日は令和2年3月29日(日)季節外れの雪模様…予定通りいけば茨城県つくば市にいたはず。新型コロナウイルスなる「見えない敵に」行く手をさえぎられて、一歩も川崎の地から外へは出られない、「自粛」の日々…今日も遠征に行った気分になろうと思い、1999年「第1回宿泊練習会IN入間」に始まった5回までの練習会を振り返ります。

<宿泊練習会 目的> 
川崎市の小中学生のバドミントン技術の向上を目指し、宿泊をともにすることで、選手間や指導者との交流を深める。

Photographs And Memories

by Jim Croce  あの時…あの場所…あの思い出の写真…
第1回宿泊練習会:1999年(平成11年6月12日(土)~13日(日))
場所:埼玉県入間市青年の家(入間市小谷田1681-1)←場所
以降、2001年5回開催まで続いた…宿泊練習会発祥の地!
この当時は終了後報告書を作っていました。



宿泊練習会の始まり…それは
 それはある大会でヨネックスの方と「ジュニアで合宿やりたいなー」となにげに話しをしたことから始まりました。「安くて良い施設が埼玉にあります」と教えていただきました。当時、宿泊費はシーツ代だけで何と1泊178円!1泊2日の合宿が4000円で開催できました。指導者も全員宿泊して、変則4面の併設体育館で練習しました。環境は抜群でした。また青年の家ということで、「朝のつどい」「夕べのつどい」などが同宿者とあり新鮮でした。規律も厳しくまさに合宿所となりました。
 第1回を開催するのは並大抵のことではありませんでした。下見に始まり、準備、指導者集め、そして当日を迎え、自分は2日目の午前中バテてしまい、ダウンする始末。それでも頑張って5回までこの地で合宿しました。

第2回宿泊練習会:2000年(平成12年 2月12日(土)~13日(日))
第3回宿泊練習会:2000年(平成12年 7月 1日(土)~ 2日(日))
第4回宿泊練習会:2000年(平成12年12月26日(火)~28日(木))
第5回宿泊練習会:2000年(平成13年 2月10日(土)~11日(日))
第5回宿泊練習会2月





報告書には次のような反省文が…
<第1回反省その1>
 今回の宿泊練習会は、これまでの川崎ジュニアバドミントンクラブの練習の中でも特筆すべきイベントでした。第2・4土曜日のみに活動してきたわけで、それを日曜日まで拡大した所に意味もあり困難もありました。
 1つは部活動との兼ね合いです。日曜日に行うということで各学校の顧 問の先生方にはご迷惑をおかけしました。幸いご理解をいただき4校の参加の下、実施できました。感謝しています。今後も部活動の運営とジュニ アバドミントンクラブとの活動にギャップが生じないようにしたいものです。



第4回2000年12月宿泊練習会

<第1回反省その2>
 しかし、逆にうまくこのクラブを利用していただければ、さらに充実した練習会や合宿開催できるわけで、生徒は顧問をはなれ一個人として参加することにより、より強くバドミントンに関われると思っています。
 広く川崎の地にバドミントンを広げていくこと、生徒がより競技に興味おぼえ、技術を向上させ、一生つきあっていけるスポーツになったらと思います。
今後も年1~2回程度、開催できたらと思っています。ご参同いただける方を探し、やる気のある生徒をこれからもひっぱっていきたいと思います。
 最後になりましたが多数指導者としてこの練習会に参加していただい た方に感謝をいたします。ありがとうございました。



第4回2000年12月宿泊練習会

<松尾組事務局長から>この冊子を作っていただきました。
 こんにちは。松尾組事務局長です。今回の報告書を作成するにあたり、この場をお借りして松尾組を代表し、ご挨拶させて頂きます。
 まず始めに松尾組は松尾イズムをくむ組長の教え子達が集まり 結成された団体です。決して暴力団ではありません。川崎の地に広くバドミントンの楽しさを普及させるために、小・中学生の技術指導、父母の方々のご理解をいただくための広報活動、そして自分自身の技術力向上を目的としてバドミントンに取り組んでいます。
 私達が中学生だった頃は今回のような合宿はなく、今の恵まれた環境を考えると、くやしい様な、うらやましい様な複雑な気分です。
 これからもこの様な練習の場を大切にしていき、組を上げて構成員一同、 一生懸命頑張っていきたいと思います。 以後、お見しり置きのほど宜しくお願い致します。
                          松尾組17番 松尾組事務局長



第5回2001年2月宿泊練習会
第1回宿泊練習会 選手反省 <選手反省1>
白鳥中学校<A,Iさん>
 今回の合宿は指導者さんにシングルを教えてもらいました。
練習がきついと思ったことが何度かあったけれど、終わってよく考えたら、やっておいて良かったと思います。今回は1泊2日だったので長いようで短かったです。合宿中に足を痛めて、他の人や指導者に迷惑をかけてしまったことが、 とても残念です。前回とは違って走ることよりもシャトルを打つことを中心的にやりました。オールロングの時、指導者さんが「とにかくシャトルに さわれ」と大声を出してよく叫んでいました。「シャトルにさわれるよう になれば全体に打てるようになるから」と言われ夢中でシャトルをおっかけました。
 1番試合で心に残ったことは、組長先生に10点で負けたことです。あと3点のためにもっと練習して力をつけたいです。宿泊練習会に来て教えてくれた指導者の方々ありがとうございました。

<選手反省2>
 中野島中学校<M,Aさん>
 この合宿に参加して、最初に思った事は、指導者の人がたくさんいることでした。全員の指導者達とは練習が出来ませんでしたが、こんなにたくさんの指導者がいたのでよかったと思います。練習では、声もたくさん出せました。今までは、バックのドライブがなか
なかストレートに打てなかったけれど、合宿を通してできるようになったと思います。
 後は、どんな事もやりぬくという事です。ランニングはとても辛かったけれど、最後まで歩かないで走る事ができました。スマッシュがネットにひっかかってばかりで「なんでだろー?」とか思いながら頑張ってやりました。他の学校の人達とも2日間、練習できてよかったです。
 夜は、少し起きていたけれど、やっぱり次の日がつらいので寝ました。どの練習も大切なんだと改めて思いました。これからも頑張ろうと思います。

<選手反省3>
中野島中学校 <T、Oさん>
 私が合宿に参加した理由。それは、『強くなりたい』その思いだけだった。「夜の8時30分ぐらいまでやって体が持つかな?」と思っていたけれど夏の合宿より楽だった。合宿へ行って良かったところはスマッシュです。 前はヨタヨタで奥まで行くスマッシュだったが(肩も下がっていた)、合宿へ行ってスマッシュの練習をいっぱいやっていたら、「スマッシュ 速いよ!」と見ていた人に言われた。その時は「合宿へ来て良かった。」という思いと、うれしい思いでいっぱいでした。

 けれど、次の日は期末試験前なので部活がなかった。その時は、部活がなくてくやしかった。スマッ シュが速く打てたのは「指導者の人のおかげと私の努力だな~。」と思いました。だが、1日2日たつと、その努力がなくなってしまう。
 くやしい! 自分の体に腹がたってくる。悪いところは試合では自分の実力が出せなかった。あと、声をあまり出せなかった。チャンスのタマをミスしてしまった所だった。合宿に来て違う学校の人とも友達になれたし、部活であまり話しをしていない人ともいっぱい話しができたし、ダブルスの動きも結構分かった。

最後に…
第5回宿泊練習会を終えて 入間最後の宿泊練習会反省…

 はやいもので今回で5回目になりました。施設にも慣れて有効な練習が出来ました。 また、昨年の12月の反省が生きていたので。活気もありました。「冊子の表紙に書きましたが、3つの目標を定めました。①自主的な練習 ②お互いを高める練習 ③ライバル意識を持つ練習です。
 今回は3つとも達成できたように感じま す。1日目の午後に空いている生徒を集めて話をしました。コートに入りきれない指導者を言葉は悪いが、利用しなさいと言いました。せっかく来ている指導者を疲れさせないことはないのです。みんな君たちのことが好きで、バドミントンがなによりも好きな 人達ばかりです。土曜日の仕事を終わらせてまっすぐに入間まで来てくれた人や、夜になってぎりぎりで到着し、次の日の朝一番で練習に参加してくれた人。2日目に仕事が あっても泊まっていただいて、午前中時間が許すまで一緒に練習してくれた人もいます。ジュニアの練習会はそういった指導者の人の力に支えられているのです。
 だから、来ていただいた以上は、君たち選手が自主的の指導者に練習をつけていただく、質問をして 自分のものとすることが大切です。 「自分を向上させたいとする力は自分で作るものです」。でも、その力を色々な人に支えられたり、カをもらったり、逆に他の人に力を上げたりすることもできます。
 この合宿中にこんなことを言っていた生徒がいました「みんなやる気があるから、とても練習しやすい」。余計なことを考えないでひたすらバドミントンの事だけ考えることができる ような練習ができたら最高です。
第43回2019年宿泊練習会

 来年から学校5日制に完全移行します。ジュニアが始まってはや7年目を迎えます。 今後どのように活動するかは考え中ですが、原則は今まで通りに行いたいと思っています。また、もっと地元に根ざした活動も考えています。川崎市の施設の利用も視野に入れて調整中です。今後も頑張りましのでご支援お願いします。 
 「最後になりましたが、今回もお世話になった入間青年の家職員の皆さん、多数参加していただいた指導者の皆さん後協力ありがとうございました。
                              平成13年2月24日
 
久しぶりに自分の文章を読んでみて、何も今のスタンスと変わっていないことに気づきました。今回の茨城遠征が延期になり、過去の遠征や合宿を振り返ることができたのが、ある意味収穫でした。宿泊練習会は今年夏に44回、冬に45回を開催します。よろしくご参加ください。茨城遠征はただ今、調整中です。また連絡します。
    ここまでお読みいただいてありがとうございました!感謝します。by組長