今日まで…そして明日から…祝<10回目>投稿!
以前から自分のこれまでの歩みや考え方をまとめようと思っていました。今回新型コロナウイルス感染防止大会のため「自粛」となり、「全国大会開催」の思い出や「市内大会完全制覇」のまとめをしました。「緊急事態宣言」が発令されて益々困難な事態となりました。仕事も休止となり、バドミントンも出来ません。しかし、明日を信じて前に進みましょう!声かけ合ってゆこう!
「川崎ジュニアバドミントンクラブ」やその他の「教育活動」をするための自分の考え方をまとめる時間にしました
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※しゃくなげと晴天の富士山!
テーマは…
その1:<生い立ち>
その2:<生徒に寄り添う!>
その3:<体育の先生への偏見~体育嫌いの思い>
その4:<コミュニケーション能力の向上>
その5:<着火点を見逃さない>
その5:<着火点を見逃さない>
その6:<人と接する、協力する>
その7:<体験させることを増やす>
その8:<大学に行けたのは…>
その9:<他の方の考えを聞いて、自分の考えを作る>
その10:<赴任させていただいた学校で(1)(2)>
その11:<子どもにとって一番大切なのは、味方になってくれる大人がいる事>
その12:<名言!迷言?事件!>
その13:<切磋琢磨に込めた意味>
その14:<若い指導者にむけて>
その15:<給食センターに勤めて…(1)(2)>
つづく…
その14:<若い指導者にむけて>
その15:<給食センターに勤めて…(1)(2)>
つづく…
毎回2話程度を投稿していきます。
その15は次回掲載します。by組長
その14:<若い指導者に向けて>
教員を辞めた時に他校の若い女性顧問方から手紙をいただきました。<川崎ジュニア的練習法その6>にに一部を掲載させていただいていますが、こんな内容でした。
教員を辞めた時に他校の若い女性顧問方から手紙をいただきました。<川崎ジュニア的練習法その6>にに一部を掲載させていただいていますが、こんな内容でした。
学んだこととして…
門戸は広く
誰にも優しく、易しく
肩書き不問、やる気次第
と書いてくださいました。
自分は練習試合や合同練習を申し込まれた時には決して断りませんでした。一緒に活動させていただくことで必ずお互いに得ることがあると思ったからです。そして次のようにお答えしました。「今、自分の学校で課題として取り組んでいる練習をします。先生の学校の選手にとって直接には役に立たないかもしれませんが、それでよろしいですか?」「少し時間をいただければ、選手を見て効果的な練習方法をお示しすることはできます」
お互いの技量が違う場合にはなおさらそれが目立ちます。自分の選手たちは必死で練習内容を教えることによって、理解を深めて行きます。相手の選手は少しずつできてくるようになります。お互い得ることがあるのです。やる気があればそれで十分です。
自分は大学生の時からバドミントンを始めましたが、「水は飲まない」「オーバーハンドの腕は体につける」「手首を使う」「ウサギ跳びで坂ダッシュ」「膝の角度は90度」「フットワーク1時間」「朝から10㎞ランニング」…非科学的な練習方法ばかりでした。根性で乗り越える練習でした。でも、それはそれで根性や筋肉がつきました。太ももはパンパンで、短パンのウエストのサイズで購入しても、太ももが入らずぐらいにトレーニングしていました。初任から1~2年はその練習を中学生にもさせていました。
運動部顧問になって、学生時代にその種目を経験されてきた場合と、他の種目や文化部などを経験されてきた場合があると思います。最初に前者の話をします。
<経験した種目の顧問になる時>
自分が経験してきた種目を選手に教えることができるのはとても嬉しいことです。自分は40年間バドミントン部を持てました。(一時期放送部を兼任していました)転勤しても混ぜていただくことができました。しかし、自分の経験したことだけで指導に当たると壁にぶち当たります。スポーツ界は日々進化しています。例えば…
若い時の「夜練習会」でフットワークの練習方法を習いました。「N」「Z」「M」などの練習方法です。知っていますか?当時は多くの部員数がいて効果的に流し込みで練習できる方法として開発されました。自分もよくやっていました。しかし、今は決して行いません。シャトルを意識していない、試合につながらない練習方法だからです。
1点から出すノックも同じです。選手がストレートに打ったのに、打った場所でなく、違う場所からシャトルがフィードされる練習です。これも意味がありません。
「手投げ練習」も自分は大学生の時には経験していませんでした。顧問になってその有効性に気づくのには時間がかかりました。自分が経験してきた練習方法が時代にそぐわないことに気づくべきです。そして新しい練習方法を習わなくていけません。それが経験者にはなかなかできません。その為に本を読んだり、講習会に参加したり、審判資格、指導者資格取得も有効な手段です。古い考えを一度捨てて、アンテナを張って有効な手段の取得に心がける必要があります。
自分は幸いとても優秀な先輩指導者に巡り会えました。市専門部長の時には毎年夏休みに「顧問講習会」を行いました。先輩の先生やメーカー小売店の方を招いて講義を受けました。「練習の組み立て方」「足の運び方」「回内回外・内旋外旋理論」「保護者会の運営」「報告書の作成」「栄光の記録の伝達」「熱意ある指導」…とてもためになりました。
いま自分が伝えたいのはそんなことです。次は後者です…
<経験したことのない種目の顧問になる時>
自分が出会った先生でバドミントンに「はまってしまった先生」も多くいました。それほど魅力的な種目だと思います。自分はサッカーや野球は見るのには苦になりませんが、あまりやる気が起きませんでした。いくら練習しても一度も球が飛んでこない場合や、一度のミスが勝負の命取りになることがよくあります。それが醍醐味だとも思いますが。
バドミントンは20回ミスをしても勝てることもあります。常に自分のところにシャトルが飛んできます。練習すればするほど打てる球が増えたり、取れる球も増えます。新たな技術の習得に向かえます。それが自分がはまった理由だとも思っています。人生に似て、山あり谷あり、失敗しても取り戻せる、とても楽しい種目です。
よく生徒を連れて通ってきた横浜の先生がいました。専門はバドミントンではありませんでした。毎回ノートを持ってきてメモを取る。理由をしつこく質問する。勝つまで通ってくる。終いに仕草まで真似しだす。
ある大会で「トランシーバー」を真似して持ってきました。自分は県専門部長の時から生徒との連絡用に使っていました。ベンチでは今は使えませんが、確実に指示が出せます。「真似しました、すみません」と言ってきましたが、「まだまだだな!」と自分。「何でですか?」と相手。「イヤフォンが無いじゃ無いか!」「それではうるさい大会会場では聞きとれないよ」「気づかなかった~」のようなやりとりがありました。次回にはもうイヤフォン用意してありました。
その先生が転勤後、ある時に電話がかかってきました。「応援旗のサイズ教えてください」と来ました。「今度旗を作ります」何かと思いましたが、サイズを測り教えると「それより一周り大きい旗作ります」と来ました。練習試合ではその学校になかなか勝てなくしてましたが、公式戦や強化リーグでは一度も負けませんでした。そこで考えた策だったのだと思います。何かで抜かしたい!そんな思いでした。
こんな横浜の先生もいました。この先生もバドミントンは専門外でした。少林寺拳法の有段者でした。栃木県で行われた「関東オープン大会」や愛知県で行われた「全日本中学生大会」でご一緒させていただきました。小学校からの経験者がいて県のトップ選手になていましたが、自分は素人でなかなか教えられないと嘆いていました。教科も同じ「数学科」ということもあり、大会の宿舎で夜遅くまで「顧問のあるべき姿」を説きました。その結果、意気投合しました。
その後よく練習しに来ました。反省会で「試合で負けても、走りで一番を取る」を教えました。選手が次ぎ来た時に顧問からその話を聞いて頑張り、それを果たしました。頑張りすぎてコートサイドに置いてあったポットに当たり割ってしまいました。頑張ったその姿に免除し弁償は無しにしました。
毎年夏、横浜の市大会を観戦しに行っていました。悪い言葉でいうと偵察です。県大会では必ず勝ち上がれば横浜のチームと対戦することと、自分たちの大会前に大会の雰囲気を味合わさせるためでした。自分の姿を見つけるとやってきて、「これ落ちてました」と言って大会プログラムを渡してくれました。偵察には欠かせないアイテムです。この先生もよく自分の指導方法を取り入れてくれました。初心者の指導方法、練習時の服装、大会報告書、そして目標まで…復活●▲!甦れ●▲伝説! そっくりでした!
長くなりましたが、その種目に「はまること」が大切です。選手も指導者も楽しめばよいのです。そうすれば何でも吸収する力が出てきます。特に経験したことのない種目を任された時にはそれが必要です。
バドミントンを好きになる!それが向上する力になる
その15↓につづく…by組長
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