2020年4月30日木曜日

あしたのために…その1<今やっておきたいトレーニング>

 あしたのために…:その1
 あしたのために…(←クリック)とは漫画の「あしたのジョー」(ちばてつや画)で少年鑑別所にいる主人公の「矢吹丈」「丹下段平」が送った「ボクシング」についてのメモです。丹下がジョーを一流のボクサーに育てあげたいと思い送ったものです。始めジョーは破り捨ててしまうのですが、「あしためために」という文字が目にとまり、破片を拾い集めて読み、練習を始め徐々に習得していきます。


今回は自分から君たちへの「あしたのために…」です。









そのテーマは…
その1:今やっておきたいトレーニング!
その2:過去の大会を観よう!
その3:道具を整備しよう!
以下つづく…

その1:今やっておきたいトレーニング!
 毎日何かトレーニングしていますか?自分はひとけのない道を毎日10000歩以上歩き、花の写真を撮っています。先日は2週続いて用事があり、電車には乗りたくなかったので、中野島まで多摩川土手を自転車で往復してきました。往復36㎞3時間掛かりました。家では腹筋ローラーで体を鍛えています。あなたは何をしていますか?

 部活やクラブがあった時には毎日何時間も運動できたと思います。しかし今はできません。練習ができない中学生の試験休みの時に自分はこう指示していました。「毎日最低20分は運動すること」ランニング・筋トレ・素振り・フットワーク…行ったことをノートに記録させました。公園や自宅の前の道、学校の周辺…場所を探して生徒は行っていました。
 南加瀬中の時は近くに「夢見ヶ崎動物公園」があり、森の中のランニングコースや百段階段、坂道ダッシュ等があり自分も大学生の時にそこでトレーニングしていたので連れて行きました。


2018/6/17

 中野島中の時は清掃ボランティアも兼ねて、「生田浄水場の二百段階段」(←クリック)でダッシュしました。ダッシュと言っても途中から歩かなくては頂上には行けませんでした。それほど長かった階段でした。近くに大学駅伝部合宿所があり、よくそこで一緒になりました。彼らはいとも簡単に頂上までダッシュしていました。さすがでした。

 渡田の時は地域が平坦で他の学校のような坂道や階段がなかなかありませんでした。でも生徒は自分で場所を発掘していました。南武支線の通る「天飛トンネル」(←クリック)なる道があり、夜に母親に一緒に来てもらい何度も往復ダッシュしていたそうです。すばらしい取り組みです。でも今できることは何でしょうか?

 川崎ジュニアで行っているトレーニングをしてください。仲間と一緒にできなければ「ラインのTV電話」で交流して同時間に行いましょう。家の中でもできます。紹介します。
ぜひ行ってください。できれば一部でもいいので動画で撮って送ってください。紹介してみんなにも広めます。

あしたのために…その1=今やっておきたいトレーニング=


①動的ストレッチ:
ヒップクロスオーバー、スコーピオン
フラミンゴバランス、ヒールタッチ
アンクルタッチ、ラテラルランジ
ドロップランジ、ハンドウオーク
各左右3セット



【動画:動的ストレッチ1】
【動画:動的ストレッチ2】
【動画:動的ストレッチ3】
②チャイナステップ(CS)
【動画:CS1】

【動画:CS2】
【動画:CS3】

③シナジージャンプ(SJ)・ランジ(L)



【動画:SJ1】
【動画:SJ2】
【動画:L1】
【動画:L2】

④ドットトレーニング
ノーマル・前スタート90°右左・後スタート90°左右・8の字


【動画:ドットトレーニング】

最後に自分の腹筋ローラーです。毎日100回しています!

【動画:腹筋ローラー】

また次回!練習報告待ってます~by組長

2020年4月13日月曜日

今日まで…そして明日から…

今日まで…そして明日から…<1回目>最新15回目投稿中!

 以前から自分のこれまでの歩みや考え方をまとめようと思っていました。今回新型コロナウイルス感染防止大会のため「自粛」となり、「全国大会開催」の思い出や「市内大会完全制覇」のまとめをしました。「緊急事態宣言」が発令されて益々困難な事態となりました。仕事も休止となり、バドミントンも出来ません。しかし、明日を信じて前に進みましょう!
明日からも、こうして生きていく


「川崎ジュニアバドミントンクラブ」やその他の「教育活動」をするための自分の考え方をまとめる時間にしました。つたない考えではありますが、

参加していただける方の参考になればと思いお伝えします。

※今年もエンドウ豆を植えました。花が咲きました。メダカを飼っています。
テーマは…
その1:<生い立ち>
その2:<生徒に寄り添う!>

その3:<体育の先生への偏見~体育嫌いの思い>
その4:<コミュニケーション能力の向上>
その5:<着火点を見逃さない>
その6:<人と接する、協力する>
その7:<体験させることを増やす>
その8:<大学に行けたのは…>
その9:<他の方の考えを聞いて、自分の考えを作る>
その10:<赴任させていただいた学校で(1)(2)>
その11:<子どもにとって一番大切なのは、味方になってくれる大人がいる事>
その12:<名言!迷言?事件!>

つづく…
毎回2話程度を投稿していきます。
その3,4は次回に投稿掲載します。by組長

その1:<生い立ち>
 1954年3月東京都大田区馬込で3550㌘で生まれました。1歳ぐらいの時に川崎市幸区古市場に転居してきました。川崎市立古市場小学校を経て平間中学校に進学しました。卒業後親父が工場の社長をしていたので継ぐために、迷わず県立川崎工業高校機械科に進学しました。中学校でも高校でもバドミントンはしていませんでした。1年浪人して私立東京理科大学理学部数学科に進学できました。
一歳のとき
一瞬迷って、それでもバドミントン部に入部、それも体育会部活。4年で卒業でき、教員採用試験にも一発で合格して、幸区の南河原中に1977年(昭和52年)4月に数学科の教員として採用されました。バドミントン部の第2顧問となりました。結婚して翌年(1978年)新設校の犬蔵中に転勤。体育館がないのにバドミントン部を立ち上げ第一顧問になりました。昭和が終わる1989年(昭和64年)まで12年間働かせていただきました。1988年から1991年まで川崎市中体連バドミントン部専門部長を務めさせていただきました。
 1989年(平成元年)に南加瀬中に転勤。1992年には県専門部長となり、全国大会を1995年に開催して退任させていただきました。1997年(平成9年)に中野島中に転勤。2007年(平成19年)には川崎区の渡田中に転勤。2014年に定年退職。再任用で4年間働き、最後は平中で40年の教員生活を終えて
ほぼ現在
2018年に退任しました。
 現在は 川崎市学校給食センターで働いています。その時ごとに様々なことがあり、そこで学んだことや経験してきたことが、今の自分の下地になっていると思います。これらの話を書いておきたいと思います。
                                                   
その2:<生徒に寄り添う!>
 小学校6年ですでに身長が170㎝ありました。体が大きい反面、運動はだめで鉄棒も跳び箱もへたくそでした。中学3年生の体育の成績も相対評価5段階評価で「2」の有様!自分は運動が不得意な生徒でした。そんな小学5,6年生の時、担任の先生がよく見てくれました。先生の下宿が鹿島田にあったので、よく上がり込んでいました。逆上がりが出来ないときは放課後につきっきりで教えていただきました。何度も挑戦しても出来ない自分を諦めずに見ていただきました。そして、休日の時などに自分たち生徒を「スケート」に連れていってくれました。スケートは先生が好きだったのだと思います。当時「スケート場」は東神奈川と川崎、今のチネチッタの場所にミスタウンという夏はプール、冬場はスケートができる施設がありました。

小五箱根にて
中3修学旅行時
何度も行くようになり、始めは手すりから離れられなくて滑れませんでしたが、先生に手を引いてもらい徐々に滑れるようになりました。先生の滑る姿が格好良く、少し出来ると嬉しくて、次々に技術を学んで習得していきました。エッジでストップ、バック走、フィギュアからホッケー、スピードの靴と進んで行きました。そうなるともう、先生が連れていってくれるのを待たないで、自分たち仲間だけでよく行ったものです。昼食は川崎駅の駅ビルに安いカレーショップがありみんなで食べました。一つのことに興味を持ち、自分から進んで取り組むようになり、それが出来るようになると自信がつきます。そんな指導法をこのとき学ばさせていただいたのかと思います。

 大学生の時も寄り添ってくれた先輩がいました。自分は中学校教員になろうと思い、理科大学に入学しました。専門の数学は授業を頑張ればなんとかなると思いました。しかし、中学には部活動があります。何か経験しなくてはと思い、高校の時に友人がやっていて1、2度した「バドミントン部」にするか、ギターが好きだったので「ギター部」にするか一瞬迷って、次の瞬間「バドミントン部」にしました。
 本格的な部活はしてなかったので「同好会」「体育会」の区別も知りませんでした。自分が入ったのは「体育会」でした。後で考えるとそれしかなかったのです。練習は春合宿から厳しかったです。7泊8日の合宿。その前に1週間の強化練習でした。長距離も自分は不得意だったので、神楽坂のランニングはきつかったです。最後に逢坂 (大坂、美男坂)(←場所)の急坂があり、それは大変でした。でもいつも数学科の一つ上の先輩が声をかけてくれたり、併走してもらいました。見捨てずに仲間として扱ってもらえました。その結果いつしか自分も速くなり、自主トレを多摩川でするようにもなれました。
 しかし1年生の春合宿では最終日の朝10㎞ランニングで熱中症で倒れ、熱けいれん!救急車搬送でした。先輩にはなんで最終日に倒れるんだと言われました。打ち上げで飲めないぞ?と言われました。でも、辞めないで4年間続けました。
渡田中時代


指導者は選手にヒントを与え、
次は選手自らが行動できるようにする
                                                        の基になったと思います。
2回目につづく↓…ページ掲載に変更しました。

2020年4月12日日曜日

川崎市小中学生<第20回記念>大会開催中止のお知らせ

川崎市春季市民大会ジュニアの部として行われる
<第20回記念川崎市小中学生バドミントン大会>中止についてお知らせします。
本大会は川崎市バドミントン協会が主催し、川崎ジュニアバドミントンクラブが主管して行う予定でした。
新型コロナウイルス感染防止対策に則り、
川崎市バドミントン協会の判断により
今年の大会は中止します。(4/16)
既に申し込まれた方はすいませんでした。
来年度は6月5日(土)6日(日)
二日間開催します
高津スポーツセンターです。

①日時:2020年5月23日(土)9時~17時(終了予定)
参加数によっては終了が遅くなることがあります。
②場所:多摩スポーツセンター10面
③種目:個人戦シングルス・ダブルス(兼ね無し)A級B級 参加費1人700円 当日集金
④参加規定:保護者の同意を得た川崎市内の小中学生が原則
⑤団体からの出場制限数:男女各 A級+B級=8名以内 男女最大16名まで
⑥申し込み方法:以下の申込書をダウンロードしてメールにて送付してください。











2020年4月7日火曜日

緊急事態宣言が発令されました。

 4月7日(火)に首相から「緊急事態宣言」が発令されました。これにより今後1ヶ月に渡り、外出自粛が要請されます。よって、今後の川崎ジュニアバドミントンクラブの活動は当分の間中止します。強化練習会等申込みいただいた方には大変恐縮ですが、具体的には以下の行事を中止します。
<中止>
4月11日(土)高津スポーツセンター 通常練習会
4月18日(土)会場未定 通常練習会
4月29日(水)中央支援学校 通常練習会
5月 3日(日)宮山スポーツプラザ 第8回強化練習会
5月23日(土)川崎市小中学生大会 多摩SC
                    (追加4/16)
みなさん!健康にお過ごしください!by組長

2020年4月4日土曜日

平成8年度川崎市内バドミントン大会完全制覇!

 全国大会が終わって、自分も学校に戻りました。みんな自然に自分を受け入れていただいて嬉しかったです。「川崎ジュニアバドクラブ」「全国大会で勝利する」という大きな成果をだすことができました。同時に下級生が大きな力をつけることができました。今回続けることの大切さを伝えようと思い、まとめてみました。
 全国大会開催のために各都県に依頼して何回も練習試合を行いました。当然、下級生も参加しているので、同じ刺激を受けて成長していきました。自分が所属していた南加瀬中もその恩恵を受けていました。…成し遂げたのは
平成8年度内市公式大会 
八冠完全制覇!
県総体予選男女団体2冠個人4冠・市総体男女団体2冠
でした!
We shall overcome
Oh deep in my heart
I do believe
We shall overcome someday
<回想1>
 当時はいろいろなオープン大会が開催されていました。「伊勢原オープン」「愛川オープン」「綾瀬オープン」「相模原オープン」「平塚オープン」…多数ありました。現在も行われている大会もあります。委員長だったこともあり、挨拶を兼ねてそのすべてに参加していました。
県強化リーグもポイントがあれば、Bチームんも参加が認められていたので、下級生も参加でき、経験値が増えました。
 市内では川崎市バドミントン協会の主催で「ダブルス大会」が新人戦前に開催されていました。現在の小中学生大会の前身です。全国大会が「1複2単」から「2複1単」に変更されて、ダブルス強化が急がれていました。優勝者には(株)YONEXから黄金のシャトルが提供されました。
 目的ある練習と試合経験が実力を向上させます。

<回想2>
 自分のチームは全中の年、関東大会は惜しくもベスト8にとどまりましたが、開催地枠で男子シングルス・ダブルスで大会に出場できました。ダブルスが全国一勝をあげました。全国大会の開催地枠は団体1、シングルス2、ダブルス1でした。会議で団体個人は川崎市1位の団体個人、シングルスは県1位も出場と決定していました。
 実はこの年にまず「市大会完全制覇」をねらっていました。前年も男子団体・S・D優勝、女子団体準優勝、市総体も男子優勝、女子準優勝していて「4冠優勝」していました。県総体も男子団体個人シングルスが優勝できた年でした。全中の年も市総体男子優勝、女子準優勝で「3冠優勝」でした。県総体は男子団体二連覇することもできました。
 大会結果は嬉しくもあり、悔しさも十分にありました。自分が作り上げている大会に、自分の所属選手を出したかった。自分が作った「申込書」を自分で使いたかった。そんな気持ちに満ちあふれていました。夢を追い続ける姿勢を崩さないことが大切です。
 そんな姿を後輩が見ていました。よく聞きますが、今年はメンバーが良いので優勝できたとか、今年はお休みなどと…自分はそれが嫌いでした。メンバーの良し悪しではなく、練習の質を上げて選手強化を図ることが大切と考えています。
 公立高校ですから転勤はつきものです。長く同じ学校に入れても限度があります。選手の頑張りがあり、中学校始めの選手を主に育成して、複数年在籍した学校すべて(4校)を関東大会に出場させることができました。転勤する年にあたってしまった選手も多く関東大会に出場できました。
 さて、全中の次の年1996年は…

<回想3>
 まず年の始めに行われた「川崎市新人大会」男子ダブルス:優勝女子ダブルス:優勝、男子シングルス:準優勝、女子シングルス:第3位で、まだ「二冠優勝」止まり。
 県大会では男子シングルス:第3位、男子ダブルス:準優勝と頑張りました。
 その後、敗戦原因を考え、練習で補強し、敗れた選手の所属する学校に毎月のように練習試合をお願いし、川崎ジュニアや県外遠征で強い選手、指導者との対戦を積み重ねました。

<回想4>
 そして迎えた県総体市予選になりました。結果は男女団体戦:優勝、男女個人戦シングルス、ダブルス:優勝「六冠優勝!」をみごと成し遂げました。市内大会とは言えど初のことでした。
 特筆することは2点あります。決勝での失点の少なさ、ダブルスの充実でした。まだ「サービスオーバー」がある時代でした。その得点は今回教え子が「大会報告書」を大切に保管してくれていて、自分に見せてくれ判明しました。まだデジカメが無い時代でしたが、報告書は毎回発行していました。

BTは2-0 優勝
GTは2-0優勝
GSは15-1、15-3 優勝 
GSは11-7、11-4 優勝
 BDは15-9、15-5(同校対決) 優勝
GDは15-7、15-10 優勝
GDは第3位や県大会代表戦も勝ち取りました。 


そして、県大会は前年全国大会を行った「とどろきアリーナ」が会場でした。結果は…

男子団体準優勝
女子団体第3位 アベック関東大会出場 
男子シングルス、女子ダブルス第3位 関東大会出場
女子シングルス第3位入賞でした。




みんな頑張りました! 

<回想5>

 最後に秋の市総体が残りました。川崎市は3年生が出場できる大会が秋まであります。まだ男女とも2複3単(兼ね無し)の時代でした。教え子からもらった「大会報告書」によると、女子は2回戦から1本も落とさずに、すべて3-0勝利!合計得点が236対102の圧勝!。男子も2回戦こそ1本落とすも、その後は3-0勝利!合計得点が267対108の圧勝でした! これまで何回も追い続けてきた「八冠達成!」を勝ち取りました。「とどろきアリーナ」の前で集合写真を撮りました。達成記念に「スポーツタオル」「優勝記念盾」を制作しました。





<回想6>

 この年度の3年生の大会が全部終わりました。当時の市専門部長にお願いして、県総体市予選に無かった「優勝カップ」を作らないかと打診しました。県大会の予選カップは作られてなく、各専門部独自のものを作成していました。そこで、今回の完全制覇を記念して、自分が作成し寄贈することの許可をいただきました。それが2016年まで21年間使っていただいたカップです。老朽化していなかったものも、時代にそぐわない個人が作成した物として2017年に回収させていただき、自宅に保管してあります。使っていただきありがとうございました!



<回想7>

 翌年自分は転勤し、県専門部長も引退させていただきました。そんな生徒も、今やもう40代に近づいています。自分が全国大会を行ったのが41歳のときです。今も宿泊練習会に参加してもらったり、その子どもがジュニアクラブ員になっています。長いことやってきて良かったと思える瞬間です。今回も新型コロナウイルス感染防止のために「自粛中」のところ時間ができて、資料をいただいてまとめることができました。

 あれからまもなく24年、未だに川崎市内に「八冠市大会完全制覇」の学校は他に出ていません。いや年度をまたいで新人戦も入れて「十二冠市大会完全制覇」をいつかどこかの学校が達成してくれることを待ち望んでいます。by組長

ここまで読んでいただき感謝します。 

<感想をいただきました>資料をいただいた教え子から感想をいただきました!

先生 誕生日プレゼントありがとうございます💕

先生と出会えていい思い出がたくさんできた事が幸せです😊
中学を卒業して何十年と経っても今でも忘れない思い出になってます。
ブログをみてて、先生が激怒して体育館の舞台から椅子を蹴り飛ばした事?、ノックの最中に激怒してラケットを投げ飛ばして折れた事や?、大会で優勝してガストでご飯を食べさせてくれた事!、休みの日に遊園地に行った事!など色々思い出しました!

コロナが落ち着き バドミントンができるようになった時にはまた一緒にやりたいです!
これからもよろしくお願いします😊

2020年4月3日金曜日

平成7年度第25回全国中学校バドミントン大会を振り返って!

 何回もチャレンジして抽選で確保できた4月4日の「カルッツかわさき」強化練習会も新型コロナウイルスのために、中止になりました。とても残念な思いで一杯です。またいつの日かウイルスが収束して、自粛が解除になり思いっきりバドミントンがしたいです。
<始めに>
 今回はそんな時期に教え子から貴重な資料をいただいたので、整理しています。今回はこの「川崎ジュニアバドミントンクラブ」できるきっかけになった、今から25年前。
1995年8月20日~24日に日程で、新築の体育館「とどろきアリーナ」で行われた

「第25回全国中学校バドミントン大会」
を振り返ります。まずは動画から…画質が悪いですがどうぞ!2015年に行った「全中開催20周年記念大会」に際に編集したものです。

【動画:1995年第25回全国中学校バドミントン大会の記録】

Preserve your memories They're all that's left you.
How terribly strange to be seventy 
<回想1>
 先の講習会でお話ししたように、自分が神奈川県中体連バドミントン部専門部長を務めさせていただいたのは、1992年(平成4年)~1995年(平成7年)でした。1992年には初の県合宿を開催し、翌年には正月に「第9回関東合宿」夏に「第24回関東中学校バドミントン大会」を開催し、1995年全国大会開催後、秋に「県選抜大会」を新設し、さらに「県新人戦」を1本のトーナメントにできました。過渡期にあった時期だからこそ、専門部の先生方やメーカーの方、中体連本部役員の方々、そして現場の顧問の理解があっからこそできたものばかりでした。毎回の県専門部会を各ブロックの部長所属校で開催し、お互いの理解を深めていきました。
 その中でも一番の思いでは「全国大会開催」でした。現在使用している、神奈川県総合体育大会の優勝旗は、この大会開催を記念して作成させていただきました。



<回想2>
 当時全国大会は全国9ブロック持ち回り制で開催されていました。関東ブロックの8都県で各ブロック2種目開催が義務でした。県中体連事務局の理事長先生から打診があり、バドミントンはどうか?とありました。一瞬考えましたが、「引き受けます!」と即答しました。こんなチャンスはないと考えたからです。全国9×関東8=72年に一度のチャンスを逃すことはありません。すぐに準備にあたりました。


<回想3>
 自分自身が全国大会に出場したことが無かったので、まず先輩の出場顧問に全国大会はどんな大会なのか、話しを伺いました。1992年第22回富山高岡大会を1人で視察しました。体育館が円形で大きく、開会式の吹奏楽の演奏の見事さに驚がくしました。当時は会場に熱中症対策として「氷柱」が何本も置いてありました。持っていったビデオカメラのマイクが不調で、街の電気屋さんに相談したところ、とても丁寧に接していただき修理していただいたことを覚えています。翌年は専門部の役員でワゴン車で滋賀県大津市まで視察に6名で向かいました。まだ2年前ということもあり、旅行気分ででかけました。夜はいつも麻雀ばかり?してました。
 大会はとても整然とした大会でした。「業務必携」なるマニュアルができていてそれはそれは参考になるものでした。自分の大会時においては、まだインターネット等がなく、パソコンよりもワープロの時代でしたので、作成するのに大変な書類でした。

<回想4>
 前年の1994年は北海道旭川市「大雪アリーナ」というとてつもない大きな体育館でした。冬はスケート場だと聞きました。この年は川崎市の視察団と県専門部の視察団という大がかりなものでした。この大会に自分も出たいと、大会準備と平行して選手強化に頑張りました。幸い県大会で男子団体優勝でき、「いざ旭川!」と関東大会に乗り込みましたが、埼玉県のチームに敗れてしまい、選手に全国大会を経験させることができませんでした。



<回想5>
 1995年になり、自分は職場を離れて4月~10月まで「県中体連事務局専従」となりました。授業は非常勤の方が代行してくださり、毎日「横浜三ツ沢」の事務局まで通いました。神奈川県開催になった「体操専門部長」の先生と「県理事長」との3人で協力してこの難題に取り組みました。
毎日書類作り、挨拶回り、発送、電話連絡…まだメールやラインも無いのでFAXと電話が手段でした。4時に終わって、疲れてはて横浜駅に向かいました。東横線に乗ると自宅方面、横須賀線に乗ると所属中学校方面…足は自然と横須賀線に向かいました。職員には「夜の訪問者」と呼ばれていました。生徒の様子を知ることや部活動指導がしたかったです。しかし、5月になると「事務や挨拶回りに嫌気」がでてきました。もう限界でした。「普通の教員に戻りたい!」かったです。立ち直るには少し時間がかかりました。2~3日後に同僚から言われた言葉、「あなたがやらなければ誰がやる!」と言われた事を自分に言い聞かせて、再度準備に取り組みました。持つべきものは仲間です。
   その矢先……

<回想6>
 この年の7月に「とどろきアリーナ」が完成予定でした。全国大会の前に「関東中学校バレーボール大会」や国際大会などのオープニングイベントも予定されていました。
 完成が間に合わない!と聞いたのが5月下旬でした。慌てました!開催の危機でした。その前にも大きな事件がこの年にはありました。1月には「阪神淡路大震災」3月には「地下鉄サリン事件」などがあり、今の新型コロナウイルス感染の状況とは違いますが、社会が揺れ動いていました。
 幸い本大会は体育館が間に合い完成し、間に合って開催することができました。よくアリーナまで「出来るかなあ」と思い、行ったものでした。

<回想7>
 これまでの全国大会を参考にして、今大会は大きく5つのことを変えました。

①コートマットを使用する。②大会会場で前日練習を行う。③過去の大会出場記録を掲載する。④アトラクションを開会式前に行う。⑤記念品を作成し、開会式で披露する。 

 ①はアリーナの練習コートにも設置しました。②は初の試みでした。③は全国中体連バドミントン部からの依頼でした。④は高校生にチェアリーディングをお願いしました。⑤は来年度開催県(都市)に大会ポスターの下敷きを渡しました。作成者、設置者に深く感謝します。
 大会中、大雨で落雷があり停電してしまい、競技が中断しました。慌てましたがすぐに復旧して決勝戦まで行えました。そんな思い出もあります。自校の選手も出場でき、1勝をあげることもかない、準備に3年もかかったのに楽しく夢のように過ぎ去った4日間でした。


<回想8>
 大会終了後、男女団体優勝されたチームから手紙がきました。大変お世話になりましたととても丁寧な内容でした。思い返せばこのチームの選手だけが「前日会場練習」の時に、「冷房の風はどこから出ていますか?」と聞いてきました。強いチームは違うな~と感じました。
 この大会開催を契機に「川崎ジュニアバドミントンクラブ」の歴史が始まりました。
出場した川崎市・神奈川県の選手も頑張り、今後につながる大きな経験を得たものと考えています。現在はそのお子さんが本クラブの選手として活躍していることに、意義を感じています。本大会に関係されたすべての方々に感謝の気持ちを表します。
 
  自分もこの大会開催により、教員としてもあり方、人脈作り、事務能力、バドミントン技術知識…を得ました。ありがとうございました!
 2015年に「全中開催20周年記念大会」を開催しました。こんな時期ではありますが、今年中に「25周年」を記念したイベントを行いたいと考えています。



 お読みいただきありがとうございました!by組長

2020年4月1日水曜日

第7回強化練習会中止のお知らせ 緊急!

市内のスポーツセンター等をお借りして、より深くバドミントン競技を知り、競技力や精神力を高めるために行う予定でいました。
 第7回強化練習会、令和2年4月4日(土)小体育室4面(午前9時~午後5時30分) カルッツかわさき(地図)は
以下の理由により
中止とさせていただきます。
参加費は徴収しません。


<理由>
・新型コロナウイルス感染拡大防止で、参加者やご家族の健康と安全を確保するため。
・3月22日(日)の時点では、まだ感染拡大時期前と判断して、消毒や換気等の対策を講じて行いましたが、現時点ではすでに拡大時期に達していると判断しました。そして毎日状況は悪化しています。今回は対策を講じても感染予防ができないと判断したため。

<今後の再開時期>
・川崎ジュニアの活動再開時期は「感染状況が下降」「川崎市中学校部活動再開時期」に合わせて考えます。
施設開放で体育館をお借りしている日は「施設開放が再開」された場合に実施します。
・その際でも以下の<参加上の注意事項>を遵守して行います。
・実施する日程に関しましてはこのブログを参考にしてください。



 新型コロナウイルス感染防止対策として以下のように行います。
参加者(選手・指導者・保護者)はよくお読みになってご参加ください。

<参加上の注意事項>
1.風邪の症状や 37.5℃以上の発熱がある方、強いだるさや苦しさがある方、激しい咳の症状のある方は、参加を見合わせてください。家を出る前に検温し、さらにする前に体温を測ります。体温計持参できる人はお願いします。※クラブでも用意します。
2.マスクをご持参いただき手洗いを励行するなどしてください。
3,会場にアルコール消毒液を設置するように準備します。お使いください。
4,会場内は換気を常に行います。

バドミントンの知識試しをします
例えば…
その1:右利きの人がバック側にきたシャトルを
左手にラケットを持ちかえて打った?
 ①フォルト ②レット ③有効

その2:シャトルがネットを越えた後にネットの相手側にひっかかりました?
①サーブはレット ②ラリーはレット ③すべて有効


回答は当日…