今日まで…そして明日から…<第13回>

 今日まで…そして明日から…<13回目>

 以前から自分のこれまでの歩みや考え方をまとめようと思っていました。今回新型コロナウイルス感染防止大会のため「自粛」となり、「全国大会開催」の思い出や「市内大会完全制覇」のまとめをしました。「緊急事態宣言」が発令されて益々困難な事態となりました。仕事も休止となり、バドミントンも出来ません。しかし、明日を信じて前に進みましょう!
七重八重花は咲けども山吹の みのひとつだになきぞかなしき

手紙~拝啓・十五の君へ
明日の岸辺へと 夢の船よ進め
笑顔をみせて 今を生きよう

「川崎ジュニアバドミントンクラブ」やその他の「教育活動」をするための自分の考え方をまとめる時間にしました
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※加瀬山の山吹とその伝説
一面の山吹の花

テーマは…
その1:<生い立ち>
その2:<生徒に寄り添う!>
その3:<体育の先生への偏見~体育嫌いの思い>
その4:<コミュニケーション能力の向上>
その5:<着火点を見逃さない>
その6:<人と接する、協力する>
その7:<体験させることを増やす>
その8:<大学に行けたのは…>
その9:<他の方の考えを聞いて、自分の考えを作る>
その10:<赴任させていただいた学校で(1)(2)>
その11:<子どもにとって一番大切なのは、味方になってくれる大人がいる事>
その12:<名言!迷言?事件!>
その13:<切磋琢磨に込めた意味>
その14:<若い指導者にむけて>
その15:<学校給食センターに勤めて…(1)(2)>
その16:<そして明日から…>
その17:<選曲した歌に込められた思い…>
その18:<クラブ再開に向けて…>最終回
毎回2話程度を投稿していきます。
その17は次回掲載します。by組長

自宅の裏に「夢見が崎動物公園」があります。太田道灌の江戸城築城伝説があります。
今回はその「山吹伝説」から始めます。知ってますか?…
その16:<そして明日から…>
 ある日、鷹狩に出かけた若き日の太田道灌が、にわか雨にあい、村の家で「蓑(みの)を借り」ようとしたところ、出てきた少女は無言のまま、「山吹の一枝」を道灌に差し出しました。道灌は怒ってその場を立ち去りますが、あとで家臣から、少女は「七重八重花は咲けども山吹の み(実・蓑)の一つだになきぞ悲しき」という古歌に寄せて、蓑のひとつさえ持てないかなしさを山吹の枝に託したものだ、と聞かされて自分の無学を恥じ、それ以降歌道に志したという話しです。
加瀬山の碑




 
 要するに転じて、「自分に無いものに気づいてそれを恥じて,それから頑張ることだと思います」あなたはどうですか?
四冊の通知表

 これまでこの「今日まで…そして明日から…」に書いたように自分は小中学生まで無学なスポーツが嫌いな生徒でした。それを物語る資料があります。5枚の「通知表」です。小4,6年と中1~3年が手元にあります。担任の先生が書いていただいた「所見」を今回読み直しました。まず。小4…

小四所見


ちょうど1964年「東京オリンピック」の年でした。担任は女の先生でした。校庭から眺めた「五輪の輪」が青空にきれいでした。「自分の意見が発表できない」「温和だが、積極性がない」どんな生徒か想像してみてください。
小六所見

そして小6…例のスケートを教えてくださった先生です。「自分からぶつかっていく気持ちが必要」「現在眠っている能力をこれからは存分に発揮してください」とあります。
 卒業記念にまとめた「文集 思い出」もありました。ひらがなばかりの文章ですが
「銀行員」という文章がありました。※漢字に直して掲載します。


銀行員 赤入れ

「銀行員」
 僕は小さい時あまり夢とかいうものが無かったのだが、一年前に夢というようなものができました。このごろこの「銀行員」が心の中から出てきました。始めはだめかと思っていました。なぜかと言うと、僕はそろばんにも弱いし、暗算にも弱いです。だが、貯金係にって「ハット」目覚めました。それからは一年生の貯金を集める仕事を頑張りました。 僕はこのことを続けられたらと思っていましたが、もうあと一年も経たないうちにこの係をやめなければなりません。だから、この夢はもうすぐ消える ような気がします。
 でも、頑張ればまた次の夢が生まれてくるのではないでしょうか?

 まだ「夢も現実も」分からずに生活していたようです。でも最後の一文によると、そんな自分がいやったとも思っているように伺えます。よいよ中1になりました。


一年生の担任の先生は女性でした。南河原中に初任で勤めた時になんと「同僚」となりました。自分が教員になったことに「びっくり」していました。「あの時の?エー」
                                                      それもそのはず所見には。…
「まだ一度も大きな声を聞いたことがありません」と書いてあります。これでは教員として働けません。「自分の意志を示すように」ともあります。
中一所見

まだまだ変われなかったようです。そして二~三年生は社会科担当男性の厳しい先生でした。その所見はには…
中二所見

中三所見

「スポーツをもっとやりなさい」「もっとファイトが欲しい」とあります。とてもよく自分を見ていてくださったと思います。運動はしてましたが、体育が嫌いだったので、その通りだったのです。それがこの時期の自分に無かったものだと思います。

 それが駄目だと思い、打破しようと思う自分はいつできたのでしょうか?教員に成りたいと思った時?親父が亡くなった高校生の時?大学に入学できた時?大学に行って部活を始めた時?それ以降?いやまだまだできていない?それが冒頭の歌につながります。



中学クラス卒業文集には次のような自分が書いた「詩の記載」があります。

「頭」
 頭は考える 試験の答案を埋めていく
 頭は考える 自分の将来を
 頭は刺激に耐えた 三年間の
 頭、頭はサッカーボールをヘディングする
 三年間使いふるって 今自分の道を進む
 誰にでもある頭 その頭を使った三年間
 さあ栄光をつかもう!

さて栄光はつかめたのでしょうか? いかこれからか? そして明日から…
その17↓は次回掲載します、by組長

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